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    Hirofumi TAKATA

    Author:Hirofumi TAKATA
    スポーツライター。
    現在『週刊ベースボール』『Baseball Clinic』『熱中!野球部』『野球太郎』『ホームラン』等の各雑誌、スポーツ紙『デイリースポーツ』などにおいて、独立リーグ、高校野球を中心に取材、執筆活動を続けている。
    4月2日生まれ。A型。

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2006/09/30(Sat)

多田野の意地

徳島IS 4-1 高知FD 2006.9.28. 蔵本運動公園野球場

勝 多田野 1勝0敗
S 小林 2勝2敗11S
敗 高梨 15勝6敗5S

徳島ISの先発は、先頃スポット入団を果たした多田野数人である。メジャーで勝ち星を挙げた右腕の実力に注目が集まった。
しかし先制点を挙げたのは高知FDだった。4回表、六番・古卿大知、七番・杭田考平が連続安打で出塁した後、八番・中村竜央の中越え適時二塁打で1点を奪う。
すぐさま反撃を開始した徳島ISは4回裏、一死満塁のチャンスに七番・大二郎があわやオーバーフェンスかと思わせる大きな中犠飛を放ち同点に。続く八番・永井豪の適時右前安打で逆転に成功した。
徳島ISは5回裏に四番・西村悟の遊ゴロ(記録は失策)で1点を。6回裏には大二郎の適時右前安打でもう1点を追加し、差を3点と拡げた。
多田野は5回以降、高知FD打線に三塁を踏ませない投球を披露する。8回から竹原俊介、9回を小林憲幸がそれぞれ3人で抑え、徳島ISが高知FDとの最終戦を4-1の勝利で飾った。


『多田野の意地』

メジャーを経験している投手だとはいえ、万全か?と言われれば決してそうではない。
今季、多田野数人が投げた最長イニングは4回である。
「4回にちょっとバテがきましたね。高知FDの打者はメジャーの打者にタイプが似ていました。積極的に振ってくるところが」

9月4日の登板を最後に実戦から離れている。今シーズン前半、右ヒザの故障でほとんど投げられなかった。スタミナと、下半身への不安があった。9月22日の入団会見の後、小野監督は多田野の足の細さを気にしている。今日のマウンドも当初は5回までの予定だったのだ。

「5回が終わって『どうだ?』って聞いたら、『まだいけます』って言ったんだ。6回が終わって『フォームで何かありますか?』って聞いてきたから少しアドバイスしたんだよ。すぐ試したかったんだろう。それで7回も投げさせた」

小野監督が指摘したのは〝左ヒザの割れが早いこと〟である。
今年、走り込めていないことも影響している。
「それを言われてすぐ(修正が)できれば天才だからね」

「福永君がしっかりリードしてくれたんで」
ヒーローインタビューでは謙遜気味に捕手のことを称えた。

福永泰也が振り返る。
「メジャーのリードの仕方と、僕がこっちで普段やってるリードがある。で、どっちにしようかな?と思ったんですけど。ま、様子見ながら・・・最後は多田野さんに任せました」

初登板となった24日、鳴門での高知FD戦では直球だけを試して最初の二人に安打された。変化球を混ぜてからは3人を三振に取っている。
「一巡目はストレート中心で。ひと回りするともう危ないと思ったんで・・・」
4回には福永自信、多田野がバテ始めていることに気づいていた。しかし変化球のキレには目を見張るべきものがあった。
「変化球のキレがありすぎてボールになるんです。後半それを見られた。YAMASHINの四球(5回)なんかそう。低目がボールになっちゃうんです。それで『(変化球を)真ん中に集められますか?』って聞いたんです。それでほんとにできるところが凄いですよね」

7回105球を投げ、被安打6。失点1。四死球2。奪三振9。
最後の7回は、一死から一番・YAMASHIN、二番・國信貴裕を連続三振に取り、マウンドを降りた。

「三振は意識してない」
多田野はそう言った。
「最後の三振。あれは意地でしょうね」
福永はそう思っていた。

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2006/02/27(Mon)

星の下 路の上

プロフェッショナルとして最も大切なことは何か。
誰もが認める大きな結果を残すことだろうか。それとも莫大な収入を手にすることだろうか。業界における第一人者に上り詰めることだろうか。以前、あるプロフェッショナルに聞いたことがある。
「プロとして最も素晴らしいこととは、長くその仕事を続けることだ」

佐野元春がレコーディング・アーティストとしてデビューしたのは1980年4月。キャリアは25年を超え、もうすぐ26年目に入る。彼の音楽を本格的に聴き始めたのは中学生の頃だから、オレ自身のファン歴も20年をとっくに超えた。
『僕は大人になった』
そんなタイトルの曲もある。まさにその通りだ。

LIVEに足を運んだ回数はざっと数えても30近い数字になる。幸せな時よりも、むしろ苦しい時に元春を歌う。辛い時に元春の曲が耳に流れる。そうやって元春に助けてもらいながら、この20年をなんとか乗り越えて来た様に思う。

2006『星の下 路の上』。
デビュー25周年記念と銘打たれたLIVEツアーに参加した。日本で最も盛り上がる会場だと思う、大阪フェスティバルホールでのLIVEだ。元春のLIVEに連れ立って行く友達の顔ぶれも、この20年の間に変わった。十代の頃一緒に観た仲間達の中には連絡の取れなくなった友達もいる。もう会うことの無い彼女は、『SOMEDAY』を「素敵な曲ね」と言って微笑んでいた。東京で再会した大学時代の友達は、あれから二人の子供の親父になった。17時から始まる今日のLIVEに待ち合わせた友達も、今や立派なお母さんだ。初めて一緒に元春を観た時はまだ後輩のOLだった。

佐野元春はこの25年間、ずっと歌い、曲を作り続けて来た。
時代は流れ、いろいろなものが変化して行った。元春自身もかつての、若かった頃の元春ではない。
しかし、ずっと変わらないものもある。そしてそれはこれからも、音楽という財産として多くの人々の心の中にずっと残っていくのだと思う。

すべての演奏が終わった後、客席に向けて語りかけた。

「ずっと僕なりに〝希望〟の曲を書いてきたつもりです。確かに今は30代、40代には厳しい時代かもしれない。でも僕はこれからも、〝希望〟の曲を書いて行きたい」

元春の言葉を借りるとするならば。
〝BEATは続く〟
センターマイクを客席に向けて、メンバー全員がステージから去った。3時間。会場の照明が再び灯った時、時計の針は20時を差していた。

今日の演奏を笑って振り返りながら、雨上がりの大阪の街を二人で歩いた。
LIVEの夜はいつもそんな風に過ぎて行く。心に何かをもらって帰って来る。そんな夜がもう25年も続いている。
この星の下、そして、この路の上で。
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